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3月14日の記憶 [震災]


1時間以上いつもより早く起きる。

念のために水道の蛇口を捻る。。

出る、、、  とりあえず一安心。。


今日から仕事が再開になる。
果たしてお客さんがどのくらい来てくれるかが、先ずは大きな不安だった。
ボクは何でも悪い方向に考えてしまうネガティブ思考の持ち主。。
それが逆に良い場合も多々あるが、、
仮に今日、それが的中してしまって、お客が一人も来ないなんて事になったら大問題だ。。
必死に 「プラスに少しは物事を考えろ」 と自分に言い聞かせる。。

それに、この日はそれ以外にも大きな問題が立ちはだかっていた。

  「計画停電」

なんの計画なのか、皆目理解し兼ねるが、
そんなとんでもなく酷いことを今日から国はやろうとしているらしい。。

停電なんて事態になったら、また店を閉めなければならない。
この3月14日、うちの地域は午後停電の予定になっていた。
午後4時から8時くらいまでの範囲だったように記憶している。

バリバリ、仕事の時間だ。。
どうする。。
来てくれるか分からないが、午後もお客さんの予定はびっしり詰まっている。
しかも、明日以降も停電は予定されているようだ。。。
最悪の状況、、、
どうする、、、?

そんなことを夜の間中考えていた。


出した結論は夜間仕事をする事。
翌日以降には仕事を先送りできない。 
そもそも翌日以降も毎日停電になる可能性がある。
仕事が後ろに溜まる一方だし、お客さん側の都合もある。
混乱をきたして、後々収集がつかなくなってしまう。。。。

停電の時間帯のお客さんにあらかじめ連絡を入れて、
来れる人には停電が解除されたあとの夜間に来てもらうしかない。。
そういう結論に達した。

そうなると問題になるのは、食事だ。。
職場に深夜近くまで出ずっぱりになる可能性がある。。
1日のスケジュールがどう動いていくか全く予測がつかないので
都合よく家には返れないと思っておかなければならない。。
職場で何か用意しておかなければならない。。

職場にはガスコンロがない。調理は無理だ。
コンビニに弁当やおにぎりなんて今、あるわけがない。 
パンも昨日も書いたがどこにも売ってない。。。

お湯は沸かせる。。 
それで食べれる物と言えばただ一つだ。

  「カップ麺」

カップめんを朝方なるべく沢山仕入れる必要がある。。
売ってるかどうか分からないが、出勤前にコンビニによってみることにした。
アシスタントの娘にも、来る前にコンビニに行くようにメールを入れておいた。

それがいつもより早起きをした理由だ。



以前、「バラー丼」の記事の時に出てきたローソンに直行する。。

着くと、なんと、ちょうど店員さんがカップめんを並べているところ。。
まだ、ラッキーが続いているようだ。。
10個。 これで3日は持ちそうだ。
パンも少しだけ入荷していて、買いすぎない程度に購入した。。

店員さんに聞いたところ、やはり流通は大混乱を極めているらしい。
何がいつ、どのくらい入って来るか全然分からないそう。。
カップめんも、水が出なかった昨日までは大量にあったそうだが、
水が出始めた途端、あっという間に店から消えたらしい。。
やっぱりみんな食糧を確保するのに必死なのだ。

出勤すると、アシスタントの娘は成果が無かった様子。
やはり超ラッキーだったのだ。。
まだツキは持続している。。それだけが心の頼りだ。。

水が出るか、一応チェック。。。
普通に出る。。 答えは解っているが、やっぱり嬉しくて心が躍る。
「よし! これで仕事ができる!」


職場は9時30分に朝の仕事が始まる。。
予定のお客さんが、やはり来ない。。。想定内、想定内、、と自分に言い聞かせる。
こんなことは、ここを立ち上げたオープンの日 以来だ。。。

10時までは誰も来ず、シーンとしていた。。
落ち着かないので、掃除などをして過ごす。。


入り口が開く音がした瞬間! 全員で入り口に目をやる。。

お客さんが来た!!
常連の近所のおばあちゃん。。
「年寄りは家にいてもすることがないし、邪魔扱いされるから来た。。」
と言っている。。
なんにしてもありがたい!!
全員で温泉旅館みたいに歓迎旗を振って出迎えたかったくらいだ。。

仕事をしながらいろいろ話を聞くと、おばあちゃんも誰かに
喋りたくて喋りたくて仕方なかったのだろう、
いろいろなことをノンストップで喋り続ける、、
聞いてみると、やっぱり家が壊れたり瓦が落ちたりで大変だったそう。。
近所の家々の損害も大変なものだと言う。。

うちは、いわゆる新興住宅地なので、損壊した家を見かけることはなかったが、
職場付近は旧い町。。 築年数が半端ではない。。
職場の裏の家も瓦が落ちていたし、
おばあちゃん家の周りでも、けが人が沢山出たらしい。。

ひとしきり話を終えるとおばあちゃんは帰って行った。。
「おばあちゃん! 来てくれてありがとね!!」と言うと、
いつも家人の悪口ばかりを言っている「へんくつ」なおばあちゃんが、
今まで見たことが無いような
本当にうれしそうなかわいい笑顔を浮かべていた。。

ボクの仕事は、相手から「ありがとうございます」と言われることは多いが、
自分から言うことはまず無い。。
あんなにうれしそうな顔を見せてくれるんだったら、、
こちらから感謝の気持ちを言葉で伝える事も、
しっかりやっていかないとな。。 と素直に思った。。

それにしても、苦労をすると、人間て他人にやさしくなれるものだ、、
この3日間で新たに学んだ事、気づかされたことはあまりにも多くあった。



結局、ありがたいことに午前は予定の半分くらいのお客さんが来てくれた。
自分の中では3分の1くらい来てくれれば「御の字」と思っていたので、
本当に嬉しかった。

ボクが無事なのか確かめに来た! というお客さんもいた。
とても嬉しいよ。。 ありがとう。
ボクが死んでないか確かめに来た! というお客さんもいた。
ぶん殴ってやりたいくらい、、、、嬉しかった。。。。。

いつもより人数が少ない分、いろいろな話が出来た。
いつもは忙しいので、仕事上の話はたくさんするが、
世間話のような雑談はあまりできない。
と、いうより「しない」
同業者には「口」で仕事をするようなタイプが結構多い。
でもボクは「手」で仕事をしたいといつも思っている。 
それでお客さんと信頼関係を築きたい。。

きっと、いつも仕事の話しかしないので、事務的な冷たい感じに映っていることだろう。

そんなつんつんした仕事をするマシーンのようなボクのところに、
こんな大変な時でも来てくれる。。
なんだか嬉しいのと、申し訳ないのとで、泣きそうになってくる。。
人の温かさが身に染みる。。。

午前中は、泣きそうになる瞬間を何度もこらえながら仕事をした。。
年を取ると涙もろくなるといろんな人が言うけど、それは本当だ。。

そして、いろいろ話をすると、
みんな本当に大変なんだということが痛いほど伝わってきた。。
でも、誰かに話が出来て、みんな一様に楽しそうだ。。
こっちも、話をしながら仕事をするのが、思いのほか楽しい。

20年近く仕事をしても、見えなかった、見ようとしなかったものが、
少し見えたような気がした。。
お客さんの顔も今までとは別の人のように見える。。。

あまりに盲目だったと気付かされ、恥ずかしくなる。。。

これも、震災がなければありえなかったこと、、本当に人生は複雑だ。。。 

 


午前中、仕事をしながら時間が空くとテレビをすかさずチェックした。
計画停電の情報を得るためである。
信じられないことに、今日の停電はまだ流動的らしい。。

勘弁してほしい。。

なるべく「しない」方向で考えているのだろうが、どっちつかずが正直最も困る。
お客さんが複数いて、仕事中に突然停電になることは最悪な事態だ。。
そういう仕事があることも考慮してほしい。。

このままでは、お客さんに連絡をすることもできない。。手も足も出せない。。。。

なにもできないので、仕方なく午後の仕事にそのまま突入することにした。。

いつも通り昼帰宅して昼食をとって、、
3時から午後の仕事に入る。

そして16時が近づく、、、、
停電してからでは、もう電話連絡もできない。。。。

16時が過ぎる。。。。
幸いお客さんはその時いなかった。。。

16時半になっても電気が落ちる気配はない。。。
どうやら今日のこの地区の停電は見送られたようだ。。。

テレビをチェックする。。情報が錯綜している様子。。

訳分からん、、、

この後、3日間くらいは、「あるぞ!あるぞ!」と脅かされ、振り回されたが
結局1回もないままだった。。
そして、なぜかその後に被災地域と認められ、停電は免除される形になった。。。。

あの、「計画停電」って一体なんだったんだろう。。本当に必要だったのだろうか、、
原発が動いてなくても、結局電力に不足は無かったですよね。。


仕事は夕方以降は仕事を持っている方がほとんどで、
皆、それぞれの仕事の関係が大変だったのだろう。。
キャンセル続出で、失速したが、
結果的には半数のお客さんが再開初日から来てくれた。
半数来てくれれば、食べては行けるので、本当にホッとした。

誇張なしで激動の3月14日は終わった。
ボクは震災の日より、むしろこの日の事が一番印象に残っている。
それだけ行く先への不安や、重圧を背負った仕事再開の日だった。。

結局は「人の情」に救われた。助けられた。元気づけられた1日だった。。
この日の事はおそらく一生、鮮明な記憶として残っていくと思う。。

 

 

それに、、この2011年3月14日は我が家にとって、
もう一つ、とても重大なことが起こっている日なのである。。。。。。

 

 

 

045.JPG

こいつ。。

この時点でまだうちの子になるかどうか決まっていない。。。
「ヨシゾーさんの家に連れて帰って。。」 と言ってるように見えますか?(笑)

後に「キャンディー」と名付けられることになるこの猫さん。

なんと、こやつはその運命の2011年3月14日に、この世に生を受けているのです。
誕生日を聞いたときには鳥肌が立ちました。。

つまり、今日が2歳の誕生日です。

生誕記念で写真をたくさん載せていいですか?

 

056.JPG

家に連れて帰る日。。。
ボーダーのTシャツを普通に着てくれてます。 猫では珍しい。
神経質なところが全くないんです。

058.JPG

家に連れてきました。 6月頃だったかな、、 生後4か月くらい

神経質じゃないというより「何も考えてない」んです。
生まれてから丸二年、、1日も欠かさずに24時間
「アホ」なオーラを放出しまくってます。。。

おそらく寝ることか、先輩猫(ゆじん)に
ちょっかい出していたずらすることしか考えてません。
そのせいで人生が変わってしまった可愛そうな被害者はゆじんちゃん、、、、
その話題はまたじっくり記事にしたいと思います。

160.JPG

これは最近。。 ヨシゾーのプロフ画像はたぶんこれ。。

147.JPG

最近は寝てるとこしか写真撮らせてくれません。。。


震災の後、、何か心境の変化が起きて2匹目の猫を飼う決意をしたのです。。
記憶にないほど困難を感じていた「あの日」に生まれたこいつが
我が家に来てからは毎日、笑顔、笑い、癒しを1日も欠かさずに与えてくれます。。

運命を感じてしまいます。。
我が家の猫になってくれてありがとう。。
いつまでも元気でいて欲しい。。

毎日心の中でこいつには言ってるんですよ。。

 


と、いうわけで、震災の記憶の記事は一応これで区切りです。

仕事は、その後3日位同じ状況が続いた後、徐々に平静を取り戻し始め、
2週間くらいで通常に戻ったように記憶してます。

震災の翌日からは本当にいろいろな体験、経験をしました。
正直、、当たり前だけど、もう2度と経験したくない、、勘弁してくれ!
という苦しい経験ばかりです。。

ボクの経験なんか東北で本当に被災された方の苦しさに比べれば
些細なことなんでしょう。

でも、、正直他人と同じ経験はできませんし、
当時は自分の中でこれ以上ないと思われる苦しさ、ピンチの連続でした。

家族も守らなければならないし、、家、、仕事、、
この年になると守らなければならない物がたくさんあるんです。。

 

苦しかった反面、、
普通の生活では得難いよろこびの体験、瞬間、、人とのふれあい、人情、、、、、
こんな事態が起こらなければ、解らなかったであろういろんな経験もしました。
これからの人生を生きる上での貴重な教訓になる様々なこと。。。


それらは 「震災」 がなければ得られなかった
自分にとっての財産なのも確かなんです。。
3月11日からすべて読んでいただいた方なら、解っていただけると思います。

 

複雑すぎて、、、カッコつけて決めようと思った〆が頭でまとまりません。。

人間、、人生、、、世界、、、地球、、、、規模がどんどん大きくなりますが、、
不思議なことばかりです。。

〆なんかまとまるわけないですよね、、、やめときます。。


でも、ひとつだけ不思議でも、複雑でもなんでも無く、はっきりしているのは

    東北の復興  です。

1日でも早く、元の姿を取り戻すようにするためには、、
皆が 「忘れない」 ようにする事が大事だとボクは思うんですね。

また、思うところがあれば震災の話題をこのブログで取り上げたいと思います。


今日も読んでいただいた方、、本当にありがとうございます。。

次回の記事からまたいつもの感じに戻ります。 多分。。。。

絵文字がない文章にすっかり慣れてしまったので、、、、

少々リハビリが、必要かな、、、。

また、今後ともよろしくお願いします。


おっやすみなさーーい [わーい(嬉しい顔)]

 



 


タグ:震災
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