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「いきものがたり」 まとめ 3 (第3~4回) [いきものがたり]

 
第三回 2015年11月11日 


『第3回』

今日の1枚。
高校時代に山下から渡された「夢題〜遠くへ〜」のコード譜

 

いきものがたり.jpg

 

 本厚木駅前での解散ライブを経て、いきものがかりの3人は、それぞれに淡々とした高校生活に戻っていった。(ま、それまでも何の変哲も無い普通の高校生だったのだが)男子二人は受験へ向かい、吉岡は自分の高校内でのバンド活動にいそしむようになっていた。

やがて春が来て、桜は散り、あえなく浪人生活に入った。男子2名ともに。自分は都内の私立大学に一旦入学したが、思うところあって再受験を決意していた。海老名サービスエリアで早朝アルバイトをして予備校の費用を捻出し、朝はバイト、昼は大学、夜は予備校。という生活を1年ほど続ける。

受験も差し迫った冬の頃だったろうか、以前にも話に出てきた近所の公民館の学習室で、ふたたび、山下と顔を合わすようになる。他にも多くの学生がそこを訪れていて、遅くまで勉強をする。いつも同じ顔ぶれなので、自然と連帯感のようなものが生まれていた。

学習室の前に、小さな休憩スペースがあって、そこにベンチが置いてある。息が詰まると、誰ともなく皆その休憩スペースに集まってきて、たわいもない雑談をする。ついつい長居することもしばしばで、気分転換のつもりが、ずっとそこで友達と話し込んでしまったりすることもよくあった。

山下ともよく話した。浪人生活はやはり気が滅入るので、二人とも受かったあとに何をするのかを楽しく想像することで現実逃避をしていた。「あの楽しかったいきものがかりを、もう一度、ちゃんとやろう!」自然とそんな話ばかりするようになった。

思い出すと恥ずかしさがあるが夢物語ばかり語っていた。「笑っていいとも!」に出てみたいとか「ミュージックステーション」や「紅白」に出てみたいとか。オールナイトニッポンのパーソナリティになってみたいとか。横浜アリーナでライブをするようになりたいとか。絵に描いたような夢物語。

そんなとってもミーハーな夢を無邪気に語りあっていたわけだが、10代の妄想力というのは案外すごいもので、海老名厚木の片田舎から世に出て、そのミーハーな夢を叶えるまでの約数年分の行動計画を、1から100まで本当にこと細かく話し合ってしまった。勉強しないで、なにやってんだ。

しかも近所の公民館の休憩スペースで。恐ろしい勘違いだったと思うけれど、横浜アリーナまでの道(←誇大妄想)が、そのときのバカ男子二人には見えてしまっていた。現実を知らず、怖さを知らず、恥ずかしさを知らないからこそ、できた語り合いだったと思う。なにより、若く、青かった。

今から振り返れば、本当に楽しい時間だった。あのときの自分たちは、まだ現実には出会っていなかったからだ。夢を語るだけでよかったからだ。「わたしはそこにはいなかったんだよなぁ。ずるいなぁ。」と、そのときの話になると、よく吉岡はすねて言う。

あの休憩室で話し合った行動計画をそのあと数年かけて、本当にひとつひとつ実行に移していくことになる。計画通りに進まなかったことがほとんどだけれど、経緯はどうあれ、結果としては休憩室で夢見たことのほとんどは、叶った。出会いに恵まれ、運が良かったんだと思う。

ちなみに正確に言うと、オールナイトニッポンについては、夢を語り合っていた男子二人は念願叶わず、めでたくパーソナリティーに選ばれたのは吉岡ひとりだった。ある時期はずいぶんそのことを話のネタとして使わせてもらったものだ

夢物語のその後の話を先にしてしまったけれど、実は受験が終わったあと、自分としては16年間のなかで最も苦しかったと思う時間を、いきものがかりは過ごすことになる。水野、山下の、子供じみた夢いっぱいの行動計画が本当に始まるのは、実はもう少しあとの話だ。

吉岡が、歌いたくないと、二人に告げてきた。

 

 

今日はここまで。乱文、お粗末様でした。次回は『第4回』。

 

 

いきもの マラソン.jpeg

小学校のマラソン大会。
リーダー(前)とほっち (後)

 

 

 

第4回  2015年11月19日

 

 

  『第4回』

今日の1枚。
このタンバリンは今も現役で使われています。

 

 image.jpeg

 

 

吉岡は、地元の音楽大学への進学を決めていた。将来は歌をつかった仕事を…と考えていた彼女は、歌から踊り、芝居まで、広く多くのことを学べると考えてミュージカル科を選んだ。

新しい大学生活もすこし落ち着きはじめた頃だろうか、水野と山下は、受験生時代に話し合ったように、いきものがかりの活動を本格的に再スタートするつもりでいた。今度は、思い出づくりではなく、互いの将来を賭けるものとして。

さっそく吉岡に声をかけると、しかし、思いもしない言葉が返ってきた。「歌いたくない」

高校生まで、ほぼ独学に近いかたちで、自由に歌に接してきた吉岡。歌好きな大家族のもとで育った彼女は、祖父母や両親に教わった童謡から、クラスのみんなの人気者になれるポップスまで、本当にのびのびと、天真爛漫に、歌を歌ってきた。

それが音大に進学し、専門的な訓練にはじめて触れて、容赦ない評価を指導者から下される環境に入った。同級生たちも、能力のある人間ばかり。ただ楽しく歌っていた歌に、吉岡はこのときはじめて、真正面から向き合うことになった。

いざ真剣に向き合ってみれば、自分が技術的に足りない部分が山ほどあることに気づく。彼女いわく「歌い方がわからなくなる」ほど、混乱もした。それまで心のおもむくままに歌ってきたものを、順序立てて考えていかなければならなくなって、戸惑ってしまったそうだ。

基礎も築けていないのに、軽はずみにポップスを歌えない。将来的にポップスを歌うところまで行き着きたいけれど、まだそんな段階にはない。生来の生真面目さもあるのだろうけれど、真正面から考えた結果が、まだ「歌えない」という言葉だったようだ。

いや、困った。本当に困った。大人になった今から振り返れば、そのときの吉岡の言葉も理解できるけれども、当時は活動ができないということに対する焦りが強く、自分自身は大きく戸惑った。説得というより、ただの喧嘩だ。吉岡とは何度もぶつかった。

そうこうしているうちに、今度は山下が海外に行ってしまった。いきものがかりの活動が進まないとわかると、彼はそのまま東南アジア各国をまわるバックパッカーの旅に向かった。たびたび1、2ヶ月の長い期間をとって、日本を離れる。たまに居場所と生存を伝える英文のメールがきた。

山下はそうやって活動休止期間をやり過ごしていたが、自分はそこまで器用ではなく、活動ができないことがつらくて仕方がなかった。心のなかでは音楽の道に進もうと、もう固く決意していた。なのに、自分はたった1歩でさえ、前に進んでいない。それが、つらすぎた。

のちに書くと思うけれど、いきものがかりはデビュー直前にレコード会社の育成期間があって、それもタフな時間だった。だけど個人的にはこの頃のほうがつらかった。前に進むことで生まれるつらさは、まだいい。前に進めない。トライもできない。動けない。そのことの方が、よっぽどつらい。

ただ不思議と、吉岡以外のボーカリストを探そうという話には、一度もならなかった。水野も山下も、自分たちの真ん中にいるのが吉岡であること、逆に言えば吉岡の両側にいるのが自分たちであること。それ以外の想像がつかなかった。何の根拠もないのに、そう思っていた。

本厚木の駅前にサイゼリアがあって、そこでよく話し合ったのを覚えている。大学1年も終わりかけ、自分はもう、やけになってしまっていて「もうこれ以上は待てない。自分は音楽の道に進みたいから、いきものがかりからは離れて、自分でなにかやる」と二人に告げていた。

帰国した山下はそれを聞き「そろそろやばいかな。本当に解散してしまう」と思ったそうだ。山下自身も旅先で色々と考えていたようで、このままだと自分がせっかく書いた曲も、いつか自分の子供に自慢して終わるだけの、ただの思い出になってしまう。それではむなしいなと、思ったらしい。

2003年の2月。水野は自動車免許をとろうと、山形の余目に合宿教習を受けに行った。のどかな田園風景のなかで教習を受けていると、突然山下から電話が入った。「なんか、きよえ。やる気らしいよ。」「は?まじか!?」

山下は常々ぶつかりあっている吉岡と水野をみかねて「良樹がいると話がこじれるな」と思ったらしく、水野がいない時期を狙って吉岡を呼び出し、1対1で話し合って「やってだめなら、やめればいい。だったら一度はやってみたら。」と説得したそうだ。吉岡が、それであっさり折れたという。

寸分たがわぬ言葉を1年間にわたって水野も吉岡に伝えていたが、たった1回の山下の言葉のほうがなぜか効いてしまい、吉岡は説得に応じた。…という話は、いまでもよくネタにする笑い話だが、つまるところ、水野と山下は、吉岡がボーカルでいてくれることをあきらめなかった。

本人たちにその自覚があったかどうかは別にして、この2003年に、3人と、3人を遠くない未来に支えていく多くの人々の、人生の歯車が少しずつ噛み合い始めていく。出会いは、もうすぐそこにあった。ただまだ3人は、本当に3人きりだった。そこには、僕らの他に、まだ誰もいなかった。




今日はここまで。乱文、お粗末様でした。次回は『第5回』。












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コメント 3

Nabetti

早々と「まとめ」ありがとうございます。
デビューまでの彼らの足跡が分かりやすくて、興味深いですね。

話は変わりますが、達郎さんの来年2月分チケットを先行抽選で確保しました。ヨシゾーさん絶賛のライブ、待ち遠しいです。
by Nabetti (2015-11-22 08:43) 

ヨシゾー99

Nabettiさん、またまたコメントありがとうございます! まとめがいがありますね~♬ 自分でそれを読むのも楽しいです。 達郎さん!おめでとうございます!私も12月、3月をあと2公演参加します!素晴らしいライブですので、ぜひ楽しんでくださいね~!
by ヨシゾー99 (2015-11-26 22:15) 

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