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「いきものがたり」まとめ 4 (第5〜6回) [いきものがたり]


2015年11月24日 第5回    

 『第5回』

 

今日の1枚。
サンダースネイク厚木、
2003年6月のライブスケジュールが書かれたチラシ。
初めてのライブを行う、いきものがかりの名前がある  

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やっと活動を始めることを決心してくれた吉岡。物事の歯車は、それまでのことが嘘だったみたいに、くるくると動き出した。水野と山下は、浪人時代に学習室の休憩スペースで語り合っていた”計画”を、少しずつ実行に移していく。

まず最初にしたのは高校時代のバンド仲間に声をかけること。「自分たちのバックバンドをしてくれないか」”サポートミュージシャン”という言葉をまだ知らなかった。まだライブハウスで一度もライブをしたことがないのに、いきなりバックバンド。そんな無茶なことを考えたのには理由がある。

水野と山下で決意していたことがあった。この道に挑むのなら「路上ライブのスタイルを、捨てよう」そう二人で決めていた。

もうその頃には、ゆずのお二人は確固たる地位を築いていて、そのあとに出てきた路上出身グループも、実力のあるひとたちを残して淘汰されはじめていた。そもそも地力のない自分たちが、ゆずさんと同じようなスタイルで、世に出られる気がしなかった。

路上ライブのアコースティック編成を押し出すかたちでは自分たちは世に出られない。J-POPや歌謡曲が好きで、本来は様々なタイプの曲をつくりたいのに出自である路上スタイルに固執したら、それが十分にできない。当のゆずのお二人でさえ、多様なサウンドスタイルにもう踏み込んでいた。

ゆずという大きな存在が登った山を、後から登ろうとしても勝てるわけがない。自分たちの山を、自分たちの手でみつけなければ…。演奏は素人同然、つまるところ男子二人がつくる曲と吉岡の歌しか武器はないのだから、それを最大限に生かせるスタイルをみつけなければ。そう思っていた。

どんな曲でも可能になるバンドスタイルになれないか。でも自分たちが3人であることは崩したくない。どうしようとなって、そこで恥ずかしさを知らない奇想天外なアイディア「バックバンドをつけよう」という言葉が出てきた。素人考えの勢いで、ただ突き進んでいるだけだったと思う。

高校時代のバンド友達に声をかけると、快く引き受けてくれて、すぐにドラム、ベース、キーボードのメンバーが集まる。ついでに高校時代、エレキを多少は弾いたことがあるからという理由で、自分が”アコギ”から”エレキ”に転向することになった。もう、恥ずかしいくらい、ざっくりしてた。

そのとき集まってくれた友人たちはそれから約1年、ほぼボランティアで活動を助けてくれた。練習スタジオの料金を割り勘で払ってくれたりまでした。3人きりだった僕らに、まず最初に手を差し伸べてくれたのは彼らだ。彼らがいなくては何も始まっていない。本当にすべてが、始まっていない。

ちょうどその頃、地元に新しく出来たライブハウスがあった。駅前でチラシをもらったとかでその存在を知った吉岡が、事前に電話で問い合わせてみたら、対応がすごく丁寧でよかったと言う。では、そこを訪ねてみようとなって、山下とそのライブハウスを訪れた。

サンダースネーク厚木。名前のいかめしさそのままに、そこはバリバリのハードロックスタイルのライブハウスだった。受付の壁一面に、無数のビジュアル系のバンドポスター。店員さんはみんな長髪。店内で初めて会話した店長だという男性は、金髪でシルバーアクセサリーをしていた。

「あのぉ〜すみません。ライブしたいんですけれどぉ〜」「おぉ、ライブ。いいねぇ。君たち、学生さん?お友達のバンドとかはいるかな?」「あぁ〜いません」「だと仲間のバンドをみつけるか、うちのブッキングの審査を…」「あぁ〜僕たちだけでライブしたいんです」「ん?え?」

一応、説明しよう。通常、インディーズのバンドというのは集客が少ないところから出発するのが当たり前で、自分たちの客だけではライブが成り立たない。だから仲間のバンドを呼んで自前でイベントを主催するか、ライブハウスのブッキングでチケットノルマを果たしつつイベントに出るか。

ようは「対バン」と呼ばれるかたちで、ライブをこなしていくのが、最初のスタートラインなのだ。逆に、自分たちだけで成立させるライブのことを「ワンマンライブ」という。活動したてのバンドが、まずひとつの目標にするのが、この「ワンマンライブ」の実現だ。

だから当然、ライブハウスの店長は、突然やってきたどうみても素人同然のあどけなさ残るこの学生たちが「自分たちだけでライブやりたいんです(=ワンマンライブやりたいんです)」と言い放ったことに、目がテンになってしまったのだ。

ただ、店長は優しかった。ものを知らぬ学生なのだろうと、瞬時に察してくれたんだろう。「き、き、君たち、対バンってシステムは知ってるかな?」「知らないっす」嘘だと思うかもしれないが本当の話である。僕らは、大人の対応をしてくれた優しい店長にそう言った。だって知らなかったから。

「き、き、君たち、ライブハウスでライブしたこと、あるかな?」「いや、ないです。はじめてです」「そ、そ、そうだよね」「路上ライブならしたことあります」「路上?…あぁ、駅前とかでやるやつかな?」「そうです」「う、うん。路上とライブハウスは違うからなぁ…あはは…」

「あ…いや。もう一度聞くけど、えっと、君たちだけでライブをやるってこと??」「あ、はい」「そ、それは難しいんじゃないかなぁ、あはは。まずは対バンで他のバンドと…」「え、だって、ミスチルだって、ドリカムだって、ひとつのバンドでライブやってるじゃないですか?」

信じるか信じないかは、あなた次第…。ではない。本当に僕らはこのセリフを吐いたのである。知らないとは恐ろしい。知らないことの強さはすさまじい。若すぎて、バカすぎた。世の中のバンドマンの誰もが呆れかえるこんなセリフを吐いた幼き僕らに、キレなかった店長は優しすぎる。

バカだった。が、しかしバカなりの自信が、なぜか僕らにはあった。「う、うちのハコは、キャパ300人だよ…?300人もお客さん集められないでしょ?」「いや、大丈夫だと思います」その数ヶ月後、優しい金髪の店長は、この恐ろしく世間知らずの若者たちの、奇跡を見ることになる。

 

 

今日はここまで。乱文、お粗末様でした。次回は『第6回』。

 

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この日いきものがかりはRADWIMPSがホストの対バンライブに出演しました。 

 

 

第6回 2015年12月3日

 

  今日の1枚。
2003年、初めてのワンマンライブのチラシ。  

 

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ライブハウスで一度もライブをしたことがないのに、いきなりワンマンライブをする。サンダースネーク厚木の店長もびっくりドン引きの無謀チャレンジ。がしかし、本人たちには、その自信に根拠がないわけじゃなかった。

高校時代の路上ライブを応援してくれていたお客さんたちが、まだ自分たちのことを気にかけてくれていた。「また、いきものやらないの?」と、何度もいろんなひとが声をかけてくれて、そのひとたちが、戻ってきてくれるんじゃないかという気持ちがあった。

それに当時は学生で、友人たちにも声をかけるつもりだった。「対バン」というシステムさえ知らなかった当時の僕らに「友達にはチケットは売らない」というような、バンドマンの清廉なプライドのようなものがまだあるわけもなく、来てくれるなら友達でも、家族でも、みんな来て欲しかった。

4月には、路上ライブを再開。路上ライブでチラシを配り、そこで心をつかんだお客さんたちに、ライブハウスに足を運んでもらう。簡易的なホームページをつくり、ライブで配布する歌詞入りのパンフレットもつくった。細かい作業ばかりだったけれども、素直に楽しんでいた。

実は、活動休止をしているあいだも、水野と山下はそれぞれに曲だけはつくっていた。音大で壁にぶつかって「歌いたくない」と言っていた吉岡が、いつやる気になってもいいように、ワンマンライブができるだけの楽曲を用意してあったのだ。

のちにシングル曲となった「花は桜 君は美し」や「ノスタルジア」も、その頃につくった楽曲だ。格好をつけてうんと良く言えば、自分たちの音楽の骨格のようなものを、知らず知らずのうちに、この頃につくっていたと言えるのかもしれない。

たまっていたオリジナル曲を、ライブでサポートメンバーをしてくれる高校時代の友人たちと、練習スタジオで合わせていく。楽曲のアレンジなんてしたことがない。手探りもいいところで、もうとにかく手当たり次第、思いついたことをみんなでやってみる。それがすごく楽しかった。

お金もなかったのでサンダースネークに併設されている練習スタジオを深夜割引で借りて、朝までよく練習した。楽しかったけれど、負担も大きかったと思う。本当に根気強く、練習に付き合ってくれたサポートメンバーの友人たちには感謝しかない。彼らは当時、就職活動もしていたというのに。

あるとき、活動をするうえで少し理不尽なことがあった。今から考えれば小さなことだったかもしれない。でも、まだ僕らも覚悟が足りない頃で戸惑っていた。そんなとき、ベースを弾いてくれた友人のK君が、スタジオの近所のラーメン屋で、笑顔で僕らに言ってくれた。

「まぁさ、"正しいことをするには偉くなれ"ってワクさんも言ってたじゃん?」当時、大ヒットしていた映画の「踊る!大捜査線」で、いかりや長介さん演じるベテラン刑事が呟いた名台詞だ。「俺らさ、いきものはきっと大きなところにいけると思うんだ。がんばってよ。」

映画のセリフを持ってきて冗談のようにかけてくれた言葉だったけれど、それから今まで、なにかどうしようもない理不尽にぶつかったときは、3人の合言葉として、K君が笑顔で言った「正しいことをするには、偉くなれ」を思い出した、必ず、苦笑いしながらでも、3人で言い合った。

自分たちの活動にとって”正しいこと”は、その時代ごとに違うのかもしれない。変わっていったことも、もちろんあるだろう。だけど逃げずにやってこれたと、今、少なくとも心のどこかで思えているのは、その言葉のおかげのような気もしている。

2003年6月2日。サンダースネーク厚木の楽屋に、いきものがかりの3人と、その3人を助けようと、世の中でいちばん初めに手を差し伸べてくれたサポートメンバーたちが、ライブの始まりを待っていた。

サンダースネークはハードロックスタイルのライブハウスだ。他のライブハウスにはない大きな売りがある。なんとステージ上に緞帳代わりの電動シャッターがあり、ステージがガレージのようになっているのだ。ライブが始まるとシャッターが音を立てて上に開き、その奥から出演者が登場する。

客席からは、なかなかに壮観な光景になるのだけれど、演奏する側からすると、ステージ上に待機しているときは、目の前が無機質なシャッターで、その向こうにいるお客さんの様子を伺い見ることが出来ない。とてもドキドキするのだ。ましてや、はじめてのワンマンライブだ。

1曲目に選んだのは「花は桜 君は美し」。頭サビ。今では自分たちの定番のスタイルだ。もう6月で、すこし季節はずれな曲だったのかもしれない。遅すぎる春だった。僕らにとっては、ほんとうに、待ち遠しい、春だった。

目の前の電動シャッターが動き出す。ついに幕が開く。「花は桜 君は美し」のイントロを弾き始めた。少し手が震えた。吉岡が歌い出す。頭サビを歌いきったときシャッターが開いた先に300人の顔があった。笑っていた。

一生忘れられない光景だ。
僕らの人生が、始まった瞬間だった。

 

今日はここまで。乱文、お粗末様でした。次回は『第7回』。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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