SSブログ

いきものがたり まとめ 9 (第13回) [いきものがたり]

 
2016年1月27日
 
第13回
 
 
 
『第13回』

今日はすこし横道にそれて、デビュー前夜の頃。…の自分語りです。
 
 
大学では社会学部に籍を置いていた。なにを勉強したのですか?と聞かれると「はて。なにを勉強したんでしょう…汗」と困ってしまうほどには不勉強な学生だったが、学部の授業に加えて、教職課程を受講していた。
 
事務所にも入り、音楽の道で生活していくことを表明しはじめた3人に対して、それぞれの親の姿勢は三者三様だったと思う。うちの両親はというと、シンプルに反対だ。
 
就職活動をしたことがないので内実を知らないが、大学3年になると、どこで個人情報を得たのか、いろんな企業やら、就活支援サイトやらからのダイレクトメールが自宅に届く。はなから見る気がないのだけど、それを親がご丁寧にも業種別に整理する。
 
家に帰って部屋に戻ると、業種別に整理された就職案内のチラシが、机のうえにボンっと束になって置いてある。パソコンを開くと、海老名市役所の就活案内ページがブックマークされている。頭ごなしに何かを言う親ではない。親なりのアピールだったのだろう。
 
子供の頃から「勉強しろ」と言われたことは一度もなかった。一生の趣味になるからと、ギターを持つことも早くから許してくれた。ただ、音楽を仕事にしたいと言うと、顔色は曇った。「趣味であることと、仕事にすることとは、違う」と。
 
別に生活で苦労をした覚えはない。自分は恵まれていたと今でも思っているが、それは親が、家計のことを息子に悟られぬよう、ぎりぎりのところで踏ん張っていたからだというのは、恥ずかしながら社会人になってから気づいた。
 
どこの家庭もそうなのかもしれないが、自分がした苦労は息子にさせたくない。大学に行きたかったが行けなかった自分。ピアノを習いたかったが習えなかった自分。それを可能な限り、息子の人生では叶えてあげたい。そのうえで自分たちより、安定した生活をしてほしい。
 
それでも「とはいえ、最終的にはあなたの人生だから、あなたが自分の責任で選びなさい」と言ってしまうのが、うちの親の優しい「甘さ」なのだが、音楽の道に進むうえで、親が出した唯一の条件が「教職免許」をとっておくことだった。 
 
教職免許だけでも持っておけば、たとえ音楽の道で倒れても、つぶしがきく。そういう論理だった。厳しいご時世、そんな単純なことではないと思うし、親も薄々、それはわかっていたとは思うが、つまるところ、少しでも息子を許せると思える材料が欲しかったんだと思う。
 
順調に教職課程も進んで、残すところ教育実習だけとなった頃。3年の終わり頃だったろうか。実習の受け入れをしてもらうために母校の厚木高校を訪れた。だがこの厚木高校、一応、進学高ということもあって、実習を申し込む卒業生がとても多い。
 
全員を受け入れることはできないので抽選で実習生を決めます。となってしまった。ちょうどその頃、事務所にも入り、レコード会社との契約の話も始まっていた。正直、自分が教職につく未来など、まったく見えていない。となりには、同級生の希望者たちが並んでいた。
 
彼らの多くは、真剣に教職を目指している。そのなかで自分は、彼らとは別の道に心をとらわれているのに、席についている。外れてしまえばいいが、万が一、抽選で自分が選ばれてしまったら、選ばれないひとが出て、ずいぶん失礼な話となる。ここに座っていていいのか。
 
 …と、話せばずいぶんと正論のようだが、結局、のがれる理由をさがしていたのだと思う。抽選がはじまろうとしたときに、その場で「辞退します」と告げて、帰ってきてしまった。実家で、始終を説明した。いやはや、母は泣いた。
 
不本意だが、この息子の性格を思えば、決めてしまったからにはもう音楽の道に意地でも進んでしまうだろう。本心では、自分の人生は自分で決めさせてやりたい。だからその無茶な選択を、親として許してあげられるような、ほんの少しの理由くらい、なんとか残しておいて欲しい。
 
それをバカ息子、さらりと蹴り飛ばしてきてしまった。「教職だけはとるって言ったじゃない…」と、もはや呪文のように母は呟いた。もうこうなると理屈ではない。「ああ、また心配を押し付けてしまった。裏切ってしまったな」と思うだけですむ息子は、楽であり、ずるい。
 
気恥ずかしい話だが、母の涙は、それなりに、というか、かなりちゃんと息子には響いた。これはなにがなんでも食えるようにならなくてはならんと、現実を知らぬ青二才であったのにも関わらず、生意気にそう決意したものだ。勝手なものだと思う。

 
デビューしてから数年経った後。「YELL」や「じょいふる」なども出して、いくつかヒット曲と呼べるものなんとか出せた頃だ。突然、母から「話があるから実家に帰ってきなさい」と呼ばれた。
 
何の話かと思えば「自分たちも年をとって、いつ何があるかわからないから、ちゃんと前もって把握しておいてくれ」と、祖父が建てた墓の話や、保険やらなにやらの書類についての話、親戚とのあれこれなど、いわゆるどこにでもある家庭事情の引き継ぎだ。
 
知らぬ話もあったのでそれなりに驚いたりもしたが、結局はそれだけのことだ。「実はお前には生き別れたお兄さんがいて…」という話でもあるのかとドキドキしていたので、なかば安心していたら、母が突然、束になったチラシをドンと目の前に置いた。数年前の、就職案内のチラシの束だ。
 
今だにとっておいてあったのか!そのことに驚いた。もしやまだ息子の就職を諦めていなかったのかと戸惑う。すると静かに母が言った。「もうこれ、捨てるから。最後に一度、自分でちゃんと読みなさい」チラシを手にしたバカ息子に、母は言葉を続けた。「あなたにはもう、必要ないでしょう」
 
認めてもらった、と言ってしまったら、それはこちらの勝手な見方だろう。そんな風に思う気はさらさらない。だが、これから先はもう、自分の責任で、自分がやるべきと思ったその仕事をまっとうして、自分の人生を生きなさい。そう伝えられたんだなとは、思った。少し、嬉しかった。
 
時を戻す。デビューは3月15日で、大学の卒業式はたしか、その1週間後くらいだったろうか。ぎりぎりのところで「大学在学中にデビュー」というセリフを履歴書に書けることになった。卒業式。仲のいい友人が、自分の腕を引っ張り、見知らぬ同級生に言う。
 
「ねぇ、聞いてくれよ。こいつすげーんだよ。今度、メジャーデビューするんだって。」言われた同級生はキョトンとして、一言で返す。「え?メージャーリーグ?」大学のなかで僕がデビューすることを知っているひとなど、ほとんどいなかった。


 
受験の合格発表のとき、大学前の並木道には、まぶしく桜が咲き誇っていた。小田急線から見える桜とともに、仮面浪人までした末に見たその桜も、自分の心のなかでは大事なものだった。あのときから四年が経ち、また新しい春にたどり着いて、街では少しずつ、デビュー曲が流れ始めていた。
 
 
 
 
今日はここまで。乱文、お粗末様でした。次回は『第14回』




 image.jpeg


 
 image.jpeg
 
 
 
1月29日リーダーの呟きより~

超いきものばかりの制作も着々と進行しているようですね♬
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。